等躬忌の集い ことばをつけて楽しむ「はじめての連句」をおこないました
芭蕉は須賀川で等躬をはじめ、土地の人のもてなしを受け、俳諧興行を重ねました。
等躬が生きた時代、俳句とは連句の発句(最初の一句目)を指し、連句が俳諧そのものでした。当時を思い起こし、桔槹吟社の指導のもと連句の決まりに触れ、楽しく歌仙を巻くことで等躬への追善供養をしました。
連句とは、複数の人で「五七五」の発句から「七七」と次の句を展開させ、これを繰り返して36句にしてひとつの作品をつくる詩歌の形式で、この日は「半歌仙」(三十六句の歌仙の半分、十八句で一巻とする)としました。
「コンパスの円をはみ出す寒さかな」の発句の五・七・五(長句)から始まり、続いて脇句の七・七(短句)と前句に寄り添って一つの世界を作り、変化し調和しながら展開させ、雑(無季)、月花の句、恋の句といった式目に沿うように詠みました。